サポートセンター 
本の 最初の数行と書評
アートギャグ 入門
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【はじめに】


 ●わたくしの著書 「焚き火の焚きつけ」を、お買い上げ下さいました皆様、また、読んでいただけた全ての皆様方に御礼申し上げます。ありがとうございます。 

               07年4月、ドサクサにまぎれて世に出ました単行本”焚き火の焚きつけ”も、今年(2014年)で丸7年を迎えます。売れ行きの方は、当初目標の4万部には、未だとどいてはいませんが、その内にはなんとかなると思っています。 とりあえずは 「なせばならぬ、なさねばならぬ、なに事も」 の心意気で頑張って行きます。                                                                                                                                                                                                       


このたび、【焚き火の焚きつけサポートセンター】の発足、立ち上げにあたりまして本書の発刊後に、わたくしが「UAAAA!こりゃあ、いけねぇー」と気がついた本書の誤字脱字や文章の校正の誤りの訂正を、愚直なまでに実行いたしました次第です。

尚、これらの不具合発生は、全てが筆者一人の責任ではなく、本書の編集者とデザイナーの怠惰、及び無責任過多があります事を、ご承知おき下さいますようお願い申し上げます。

また、文中の特殊用語解説さらには、イザこの本を買ったはいいが、『一体なにが面白いのか、どこが面白いのかがサッパリ理解出来ない!』という、極少数の【感性欠乏症候群】の読者の方々を救済するための各種ヘルプ項目機能を満載させていただきました。が、これらの更新はナメクジの牛歩戦術のようにスゴクゆっくりです。おそらく10年は掛かるでしょう。

それはともかく、うっかり誤ってこの本を買ってしまい、「消費税込み¥1980もの大金をドブに捨ててしまった!」とお嘆きの諸兄におかれましては、是非とも当、【焚き火の焚きつけサポートセンター】を訪問していただき、そして少なくとも、ドブの中から¥30くらいは取り戻して頂きたいと願っております次第です。


                                                 2010年  9月 吉日


                                * * *


【 横文字圏 の皆さまは  こちら 】  


●"hajimeni" watakushi no chosho "takibinotakitsuke" wo okaiage kudasaimashita minasama mata yonnde itadaketa subete no minasamagata ni orei moushi agemasu .arigatou gozaimasu..

2007nen 4gatu. dosakusa ni magirete yoni demashita tankoubon "takibi no takitsuke" mo kotoshi 2011nen de maru 4nen wo mukaemashita ureuki no houha tousho mokuhyou  no 4mannbu niwa todoite imasennga sonouchi  nantoka naru to omotute imasu..toriaezu "naseba naranu nasaneba naranu nanigoto mo"no kokoroiki de gannbari masu.

●konotabi "takibi no takituke sapotosenta" no hotsusoku ni atarimashite wa hastukann go ni watakushi ga "uaaa! korya ikene"  to kigatsuita hon no goji datuji bunshou no kousei no  ayamari  no teisei wo guchoku na made ni jitsukou itashimashita shidai desu.korera no fuguai hatsusei wa hitsusha hitori no sekinin dehanaku henshusha to dezaina no taida musekinin kata ga arimasu koto wo goshouchi oki kudasaimasu you onegai moushi agemasu.

●mata bunchu no tokushu yougo kaisetu  sarani wa iza konohon wo katsuta ha iiga itsutai naniga omoshiroi noka dokoga omoshiroinoka ga satsupari rikai dekinai toiu ichibu shousu no kansei ketsubou shoukougun no katagata wo kyusai surutame no kakushu herupu koumoku rashiki kinoumansai.

● desu node ayamatsute konohon wo katsute shimai shouhizei komi  \1980 mono taikin wo dobu ni sutete shimatsuta to onageki no shokei ni okaremashite wa zehitomo tou sapotosenta nite dobu no nakakara \30 kurai wa torimodoshite itadakitai to negatsute orimasu shidai desu.. 

                                                                                                             2010 nen  9 gatu kichijitu


ワシントン州シアトル郊外に聳えるレーニア山(4500メートル弱)。氷河のクレバスを飛び越えながら登る。

                             

                             * * *

【 正誤表 】


●19ページ   拉致があかない → 埒があかない


●39ページ    発砲スチロール → 発泡スチロール


●49ページ   中条清 → 中条きよし


●59ページ   あろうのが → あろうが


●62ページ   フレノス市 → フレスノ市


●78ページ   3時を回って → 23時を回って


●86ページ   まっ盛り → 夏まっ盛り


●130ページ  拝啓 → 前略   早々 → 草々


●137ページ  大動脈流 → 大動脈瘤


●169ページ  カンタマガキユクナル → カンタマがキユクなる


●171ページ  どんどん下り。 → どんどん下り、 (。を→ 、に)


●172ページ  そうえいば → そういえば


●182ページ  デカイドバミミズ → でかいドバミミズ


●218ページ  ところどこに → ところどころに


●219ページ  右上方向 → 左上方向


●224ページ  ピバーク → ビバーク  (ヒの○を→ ヒの゛に)


●253ページ  人間けが → 人間が 


●262ページ  カロリー → ㌔カロリー


                           * * *


カリフォルニア州のヨセミテ国立公園。エルキャピタン・トリプルダイレクトルートのマンモステラス付近を登る。                



【 特殊用語 隠語 その他 解説 】


●62ページ   「合衆国 48州をグレイハウンドバスで周る」


その当時、ドルのレートは270円。で、2ヶ月間有効の外国人向けグレイハウンドパスの代金が220ドル。夏は登攀に適さない、ヨセミテのオフシーズンなので、わたしたちは秋まで旅に出る事にした。カリフォルニアのサンディゴを起点に時計と反対周りに米国48州を通過する旅をするのだ。でかい国だ。その当時のグレイハウンドバスの座席は日本の新幹線のグリーン車クラスの座席と同等で日本人にとっては広い。砂漠の中を貫くハイウェーをどこまでも  


●65ページ   「ハウルバッグ」 

荷揚げ用巨大バッグ。私たちは手作り品を用意した。数十リットルの水、一週間分の食糧、シュラフ、コンロ等その他すべてを詰め込みユマールとプーリー(滑車)の組み合わせで引き揚げる。重労働の極み。そして


●65ページ   「ユマール」 

この器具は固定したロープを登る為の登高器。上方向へはスライドするが下方向へはストッパがかかり落ちない。ただ、このユマール本体は材質製作上の弱点の為、衝撃で破壊しやすい為、安全を考慮して本体3箇所の穴等から、3本のスリングループを固定して、バンデージでまとめ安全策をとる。この3本のループにカラビナをセットし、自己のハーネスとスリングで結ぶ。このとき荷揚げ用のハウリングバッグのロープと自己のビレイをダブルで取れば安全は増すが、登攀時間は大幅に増す(エルキャピタンで数ピッチ試したが取りやめた)。一本のロープが切れたら(あなたが思っているより割と簡単に切れます)それで終わり、のユマーリングの恐怖に、自分の精神が勝つしかない長い日々のビッグウォールクライミングです。

●65ページ 「ヨセミテの生活と野生動物」

1ドルが270円の時代だった。でも、キャンプ4のサイトが1泊25セント(クライミング中と、レンジャーに見つからない居留守は無料)で、何ヶ月でも何年でも、好きなだけヨセミテビレッジに連続ステイ出来た幸福な時代が存在した。我々1970年代クライマーのヨセミテのキャンプ4(サニーサイド)の生活は、それはそれは(メッチャ)最高のモノでした。

1973年~1977年にかけて延べ1年間滞在した米国のヨセミテ渓谷はまさに天国。反面、その頃、主流だったヨーロッパアルプスのシャモニのキャンプ場には日本人クライマーが600人も詰め掛けていたという。自分たちの舞台はそちらでは無い、という思いはどうやら正解だったようだ。


●73ページ   「スリングビレイ」 

確保点にテラスやレッジやスタンスが無い場合、ピトンやナッツ等の確保ピンにセットしたスリングで空中ブラ下がってビレイする事。エルキャピタンのトリプルダイレクトのミュアウオール部分では殆どが初登開拓同じ目にあいました。朝6時から夜中の11時まで行動、スリングに座り続ける。シットハーネスだけなら地獄でも、2ドルで買ったビレイシートに座り込めば大らくちん。しかし

●73ページ 「ナッツその他」

イギリスのクライマーが、岩場までのアプローチである鉄道の線路に転がっている工事用のナットを拾って、これをクライミングのプロテクションに使えないかと考え、紐を通して岩場で実践したのがナッツクライミングの始まり。

 

●73ページ   「エイドヘルパー」 

このギアは、なんと言ったらいいのか、要するにピトンやナッツによる支点作りを省略するために考案した器具です。フィフィフックに1.5メートルほどの3ミリ番線とテープスリングを取り付け、遠く離れた残置支点に引っ掛けてそれをアブミで登ります。優れた省力器として大活躍しました。携行方法は腰に巻きつけておくのがベストです。


●76ページ   「EBシューズ」

70年代の代表的クライミングシューズ。F1レースマシンが履くスリックタイアを基に作られた。キッツキツを履くのが常套だがビッグウォールにこれ一足ではキツイ。足が壊れます。別にゆったり靴も用意して登りましょう。

昔、沢登りの終了点には、遡行中に履いて来たワラジを木に吊るした「ワラジ塚」があった。エルキャピタンの頂上にも松ノ木に吊るしたボロボロになった「EBシューズ塚」があったのが可笑しかった。


●87ページ   「ウオータークライミング」 

わたしが、この言葉を創り出し、初めて発表したのは山岳雑誌「岳人」誌上でした。夏に南アルプス南部の赤石沢を、泳いで登ったときの経験を書きました。仕方なしに嫌々泳ぐとかの谷での行為はそれまでにも在ったと思いますが、自ら積極的に谷を泳ぐ楽しみをこの時構築したのだと自負しています。


●89ページ   「ボルト人」 

ボルト人とは、主に岡山や広島地方に多数棲息していた先鋭クライマーを騙っていた人種で、日本中の岩場、いや世界中の岩壁に何トンものボルトを岩に穴を開け打ちまくって、ハシゴ同然のA1ルートをセッセと工事現場のように作っていました。更には、こ奴らはヨセミテのフリークライミングの実状を知ると、途端に踵を返し


●92ページ   「タタミカバ」 

わたしは、伝説上のこの動物には未だ出遭った事がありません。どなたか目撃した方がおられましたら御一報くださいませ。


●189ページ   「究極のB 級グルメ!その名もラーメンライス」

・・・という長い名前のカップラーメンで、ニュータッチ社製。ラーメンの中に御飯が入っていてなかなかのモノであったが、食したのは一度きりでそれ以降目にしていない。復活を願う。


●207ページ  「ピンソール」

この器具は、究極の悪相ぜんまい道や、急傾斜の泥草付ボロボロ斜面の、危険な高巻き道等を、フエルト沢靴で登る時の怖さを95%抑えてくれる優れた源流用アイゼンだ。源流へ行く多くの、一流の著名な釣り人と評価されている人間たちは、釣りだけは上手いが、只それだけの人たちです。自分の釣り欲と取材の日程が仲間の命よりも優先する輩です。決して優れた山ヤでは無い事は断言できます。彼らは魚を釣るだけのエゴイストですし、技術の無い素人の仲間を置いてけぼり状態でどんどん先へ、自分のペースで進みます。私ら山ヤの感覚では信じられない行動を平気でやる、まさに人で無しです。事実、自分の粗末な登山技術と感性の無さで若い命を見殺しにしている輩が一杯います。彼らはザイルの使い方も、使うタイミングも知らない人たちです。なので自己を守るため、崖から転落しない為にもこのピンソールは源流への必携品なのです。

ピンソールを沢靴に装着


●262ページ  「デブトレメニュー」

どうすればデブになれるかを極めるというと、それにはわたしが過去に経験した、デブになったプロセスを紐解く事により解明されるのだ。高校生時代(64キロ)→30歳代(82.3キロ)→現在(60キロ)という変化を自ら体験した身として


                               * * *


ヨセミテエルキャピタン。(左)ノーズルートのパンケーキフレークを登る。(右)ミュアウオール付近

      

【 ゾクゾクするほど好きだった B級クライミングルートいろいろ 】

●富士山 大沢崩れ お中道までのルンゼ

ここは、富士山の太平洋側の大沢崩れの下部ルンゼを登る奇妙な沢ルートです。どこからアプローチするかというと確か東海道線のナントカいう駅からバスで井口とかいう所まで行き井口国立病院?らしき所のそばから涸れ沢を登っていったように思う。途中ヘリコプターの農薬散布に遭遇。必死こいて逃げまくる。やがて、広い河原が細い沢状に変り、乾いたゴルジュとなる。

●越後 駒ケ岳 佐梨川奥壁 スラブ

その頃は私有地だった山域だったと思います。そこは鉱山の岩壁に穿たれた仕事道(落ちると死ぬ)。その岩の道を辿り、しばらく行くとやがて奥壁の取付点に着く。

●只見 銀山湖 貝ノぐら スラブ  (貝ノぐら=ぐら、は山冠に品ですが変換出来ませんでした)

ここは銀山湖に遮られた孤高の岩床の沢。アプローチはカヌー(欧州山荘の二人乗りファルトボート)を使用。まずは湖の入り江の沢にツエルトを張り、カヌーを組み立てる。

●穂高 屏風岩 右岩壁大ジェードルルート

上高地から歩き始めて横尾に着くと、左手に屏風岩がみえる。左端に1ルンゼの窪み、涸沢に向って東壁、中央壁、右岩壁へと続く。小さな沢を登りオープンブック状の岩を辿る。ここはクラックが広い。手持ちの薄刃ハーケンでは重ね打ちをしても効きが甘い。ハーケンが抜けて一回墜落。その後は何事もなく終了点へ。夜の3ルンゼを懸垂下降の連続で横尾へ下る。

●穂高 屏風岩 1ルンゼ

この涸沢は両岸が高く、チムニー状の滝が続く。わたしが登ったかなり後で起きた大落石(死者多数)で埋まったが、その後沢筋がどうなったかは不明。

●青森 下北半島 縫道石山 西岩稜

上野駅から特急に乗り9時間で青森県の野辺地」に到着。駅前は真っ暗な町並みでとりあえずは駅前旅館に宿を取る。荷を解き、飲みに出かける。西岩稜は岩も硬くナッツの効きも確かな楽しいルートでした。

●九州 宮崎 石並川の廊下

川崎港からフェリーに乗船し翌日の午後に宮崎県日向に着く。まずはバスで青島のビーチの海の家迄行く。ビールと海の家定番のつまみを注文してまったり。石並川は長~い水路。ひたすら泳ぐ。4級の谷。

●紀伊半島 池郷川の廊下

5月連休に、一番早く本格的な谷を泳げるのがここ紀伊半島だ。毎年あちこち泳ぎに通った。この池郷川の廊下には夏に出かけた。ココも長~い水路だ。

●鳥取 伯耆大山 甲川の廊下

ここは山陰の伯耆大山の麓に位置するゴルジュの谷である。キノエ川と読む。ココも泳ぎの連続。

●八ヶ岳 横岳西壁 日ノ出リッジ

夏に登ったとんでもなく脆い危ない岩場。本当は石尊稜を登るはずだったのが間違えてここを登った。

●裏妙義山 木戸前ルンゼ、見晴台ルンゼ

なんという、心擽る命名なのだろうか木戸前ルンゼ。このような名前のところに行きたくないという人間は山ヤでは無いのかも知れない。

●御神楽岳 湯沢奥壁のスラブ

静かで素晴らしい福島の山、この湯沢は御神楽岳に突き上げる3級位の岩床の沢だ。夏は1時間ほどで各沢の分岐点に着く。岩床をスタスタ行くと、20メートルほどの涸滝があり、ここはザイルを使う。この上も岩床が延々と続き、5メートルの涸滝を越え稜線に出る。夏は1時間で行ける下部の沢も雪渓がズタズタの時期には10時間を要したが、こういうコンデションの時は上のスラブよりも下部の雪渓攻略の方が断然面白い。

●谷川岳 一ノ倉沢 二ノ沢右壁

この岩だらけの枝沢は二ノ沢の左岸から合わさる沢で、8登目くらいの頃に、ワラジ履きで遡行した。緩い沢床を登っていくと、急な滝状が幾つかある。上部の滑床を辿り、ドームの基部に着く。遭難ルートへ入らず各テラスにプロテクションがある場合4級+位の沢。

●谷川岳 一ノ倉沢 一ノ沢

一の倉沢出合からすぐに右岸から合流する沢。小さな滝が連続していて、3級位の楽しい沢。滑床を遡行していくと大滝がある。詰めは東尾根からシンセン沢を下りマチガ沢を横切り西黒尾根新道に出る。

●谷川岳 一の倉沢 滝沢3スラブ

この沢は滝沢F1の大滝が、その名のごとく大きい。落口からは滝沢を離れ左の緩い岩床を登り、右へ左へと各滝を登っていく。9個くらいの滝があり、遡行していくと、最後は踏み後を登りドームかAルンゼの沢を登り稜線へ上がる。尚、この3スラブの沢は4級丁度位の沢で、命がけの豪快な究極のキャニオニングで、滑り下るのも面白いかもしれない沢だ。着地はちょっと痛そうだが。

●丹沢 大山 カンスコロバシ沢

ヤビツ峠と札掛の間に出合うこの沢はなんというか、滝は殆どなく、ただ砂防堰堤が30個位延々と続く沢で、堰堤好きな沢ヤの垂涎の的のような沢。そればかりか水がなくガラガラで面白くないし、汚い。普通の感性の持ち主ならば、くだらない沢の烙印を必ず押す沢。しかし大山への静かな登山路としてはいい。

●谷川岳 堅炭沢 SB3

この沢は中芝新道を下降し、途中から踏み跡を右手へ降りていくと、窪状から滝の連続する細い沢となる。数回のラッペル(懸垂下降)をして旧道へ出る。一般の登山者がわたし達の後をついて来てしまった事もあった。悪い事をした。登っても面白いだろう。

●上越 足拍子岳スラブ群

静かな山域で、左岸の沢は風穴スラブやダイレクトスラブと呼ばれていた。リッジ状のルート等もありホッとするような、誰もいない週末を味わえる谷だった。3級。

●秩父 双子山 牢口の沢

双子山両側の岩壁の間の沢にに4トンくらいのチョックストンが1個詰まっている。ここを越えるだけで終わりの、下らない面白さがある。交通費の無駄を感じつつもエグッチョイ場所だ。

●奥秩父 東沢 東のナメ

東沢沿いの登山道を1.5時間ほどで、左岸から出合う東のナメに着く。F1は、何十メートルかの緩い岩床を左沿いに登り、落口に立つ。その後は印象薄い沢登りで稜線に出る。2~3級の楽しい沢。

●谷川岳 一の倉沢 コップ状岩壁 (良く見れば涸滝)

一の倉沢本谷支流の、コップ沢に入り、岩だらけの沢床を登っていくと、コップ状岩壁と呼ばれている50~60m程の涸滝の下に着く。右側の割れ目をA1程度の人工登攀(エイド)で登り、滝上の緩い傾斜の岩床の沢を行くと尾根に出る。

この滝は、ヨセミテを一緒に登った仲間の一人のNがフリーで初登して、その記録を、雑誌に書いたらしい。が、その数週間前には、別の仲間のAがフリー初登していた事が後日判明した。

まあ、所詮このような小便滝の記録なんかは誰が一番でもどうでもいい事だと思う。自分の感性のおもむくまま、好きなことをやるのが一番か二番です。ここはA1&3級の涸滝。

●前穂高 中又白谷

横尾へ向う道を行くと梓川右岸に出合う沢が中又白谷だ。滝がいっぱいあり楽しい3級の沢。最後は汚い奥又ノ池に出る。

●冬季の富士山

その頃の山岳会では12月の第一日曜日は冬山合宿を控えて、冬富士のトレーニングが恒例だった。スケートリンクを斜めにした様な氷雪面はアイゼンが5ミリ程しか刺さらず、ビレーが出来ない事に加え、強風も含めて非常に精神的に怖い山だった。9合目でスリップした人が五合目の御中道を越えて2合目辺りで遺体が発見されたとiいう。

冬の富士山は6回登りましたが、夏の富士山は1回だけです。夏は行きたくない山です。わたしは冬富士で他パーティの遭難救助をしました。それは、他山岳会の女性が突然スリップし、最後尾のチーフリーダーがその人に飛びつき一緒に滑落していきました。しかし、運良く露岩に引っかかりセーフ。その後5合目までザイル確保で降ろす。

●3月の北ア 硫黄尾根

湯又川を靴を脱いで渡渉して、次にすぐ水又川を渡渉するのだが湯又川が温泉の川で温い渡渉。硫黄尾根は長い長い尾根だ。

●3月の北ア 鹿島槍 荒沢尾根

雪に埋もれた荒沢を遡行して行く。右岸の沢から天狗尾根を目指す。途中、第一と第二のクロワールと呼ばれる雪面を登る。荒沢尾根は見事な雪稜だ。東尾根から鹿島槍ヶ岳へ。

●5月の北海道 利尻岳

下は吹雪、頂上直下で雲海を抜けると突然の雲ひとつ無い晴天。狭い頂稜を辿ると頂上だ。

●屋久島 大川遡行

東京駅から、ブルートレイン寝台特急「はやぶさ」に乗車。まだ夕方の5時。大川は初級の沢歩き。



                              * * * 

ヨセミテ エルキャピタン・サラテウォール ハーフダラー付近の登攀



【 ヨセミテ渓谷の B 級 ビッグウオールと 楽しいピクニックライミングあれこれ 】


●1973~1977年の ヨセミテビレッジとキャンプ4(サニーサイドキャンプ場) 

このキャンプ場はとにかく良い。我々のこの当時の時代は何日でも、何ヶ月でも、何年でも好きなだけキャンプ4で暮らす事が出来た。「サニーサイドキャンプグラウンド」という名の通り、日当たりの良い素敵な場所だ。

●ヨセミテ ロイヤルアーチ

ヨセミテに着いたら、翌日はここへ行こう。快適なクライミングがリム(頂上)まで続く。春は雪解け水が滝となってルートに流れ落ちる素敵なところだ。岩壁の上は、穏やかなパインツリーの平らで、ノースドームが、花崗岩で出来た甘食パンの様相で待ち受ける。下降はすぐ脇の涸れ沢を下る。

●ヨセミテ エプロン ハーディングルート

エプロンは名前のとおり前掛けのような傾斜の緩い扇状のスラブ壁。尊敬するハーディング師匠が上部壁開拓の為開いたアプローチルートである。このルートは46メートルロープで10ピッチ程の右開きのオープンブック(ジェードル)の岩登りは豪快そのもの。絶対お勧め。帰路は同ルートをラッペルで。(* ラッペルとは懸垂下降のことで、支点の安定しているヨセミテでは2人同時に下降することも度々ある。わたしたちも時間短縮のためによく2人で降りた。)

●ヨセミテ マンデーモーニングスラブ 

「月曜日の朝」というネーミングから、いかにもかったるいスラブを想像するがそうでは無い。この国立公園に着いた日に、誰もが最初に触る岩肌になる場所だろう。グレッシャーポイント・エプロンの下部にある小さなフレークがその岩場だ。

●ヨセミテ スキージャンプ

マセード川下流左岸の森の奥にある岩場でその格好がスキーのジャンプ台に似ている事からこの名が付いたようだ

●ヨセミテ スリーブラザース

三兄弟と呼ばれるこの岩場は

●ヨセミテ キャシードラルスパイヤー群

ここら辺の岩場がなんともいいのだ。それというのも

●ヨセミテ ハーフドーム南西壁 スネークダイク 

北西壁が長くて日当たりが悪くてメンドクサイと思う人も、ハーフドームの頂上に立つ為のピクニックライミング感覚で”スネークダイク”ルートへはぜひ行こう。取り付きが分かりにくい。テキサスから来たクライマーに、わたしが取り付き点を教えたお礼にビールを奢られたほど分かりにくい。スラブを登り頂上でゴロ寝ビバーク。朝、面白いスラブの中のトレールを下り、さらに馬が行きかうホースシュートレールを谷沿いに下りビレッジに戻る。途中の大きな滝の落ち口では、流されて落ちて死んでる人が多いので注意。

●ワシントンコラム ダイレクト

ワシントンDCのホワイトハウスの、反対側に建つ柱がワシントンコラム。その形状に似ている事からこの名がついた。クラックやチムニーの多い面白いルート。”デブのチムニー”が核心部だ。ヨセミテのラーメンライス的なルートで是非お勧め。

●エルキャピタン イーストバットレス

エルキャピタンの右隅にあるリッジ状の岩場。ヘッドウオールに比べ高さはグンと低くなるが、15ピッチほどのルートで楽しい。春の雪溶け時はエルキャピタン滝の出現で登れない事がある。

●エルキャピタン トリプルダイレクト

エルキャピタンのヘッドウオールは、墨田スカイツリーの上に東京タワーを乗っけたよりも高く、1000メートルもある岩壁だ。高さ1キロ、幅2キロのエルキャピタンは世界一の花崗岩塊なのだ。

トリプルダイレクトはとにかく長ぁ~いB 級ルートだった。40ピッチ弱位はあった。名前の由来は、サラテ壁下部~ミュア壁中部~ノーズ壁上部の3つのルートを繋げた処から来る。この偉大な3ルートを繋いで、ちゃっかりと初登記録に名を残してやろうと画策した、ちゃっかりマヌケなスイス人クライマーの下卑た感性と超姑息とも言える節操の無さと、下らなさに目を奪われた私は、どんな事があろうともここ(トリプルダイレクト)を登ってみたかったのだ。

天然のアホ臭さや、下品極まりない下らなさを含んだ発想の奇妙さは、私の原動力なのでもあり、こういうのが堪らなく好きだ。でも、ここは油断すると低いグレードのピッチ(5.8程度)でも、死ぬかもしれない危険が潜んでいる。ホント物凄く怖かった。危険は、まあどこの岩場でも同じなのだが・・・。ともかく英語ガイドブックにある【トリッキー】とかいう単語には充分注意しよう。

10月はビッグウオール登攀の最適期だが、時として降雪もあるので要注意。ノーズルート最後の2級のピッチが積雪で登れずに遭難死(凍死)した日本人もいるので油断無きよう。凸凹の無いラバーソールのクライミングシューズで、雨や雪で濡れた岩場を登るときは、目の粗い靴下をクライミングシューズに被せてフリクションを確保して登ると少しはマシ。

尚、エルキャピタンの基部を無闇にうろつくのは危険なので注意しよう。何故ならば、時々1000メートル上空から、50~100㎏の重さの、用無しになったハウリング(荷揚げ)バッグが降って来るからだ。

●センチネルロック北壁シュイナード・ハーバートルート

ここはマセード川の左岸にある岩場で12ピッチくらい。対岸にはエルキャピタンが聳える。わたしはこのルート上部で10メートルほど墜落した。センチネルロックの基部近くには小川が流れており水場となる。ビレッジを午後に出て、基部付近で泊まり。更にルート途中のテラスで一泊してノンビリ2日半の日程でゆったり登ろう。下りはビレッジ寄りの涸沢を下る。

ヨセミテ エルキャピタン・ミュアウォールのエイドクライミング

                                 

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